日本画家を代表する人物としても高く評価されているのが「横山大観(よこやまたいかん)」
です。第一回文化勲章を受賞したこと、東京都の上野に横山大観記念館もあるなど、時代を超えて愛され続けています。横山大観とはどのような人物だったのでしょうか。
横山大観は、明治・対象・昭和の約90年と長い年月を生きた人物としても知られています。1868年茨城県の水戸で生まれます。明治維新によって水戸藩士の身分を失った父親とともに、東京に上京して生活してます。
東京府中学校を優秀な成績で卒業し、東大予備門を受験するも掛け持ち受験が原因で不合格となり、東京の英語学校に入学します。その後、明治21年に東京美術学校を受験し一期生となり卒業後は教授になるも、辞職。日本の美術院創設に参画し語学力も活かし世界で作品の展覧会を開きます。
世界でも横山大観は高く評価され、ローマの日本美術で使節として赴くなど尽力してきました。日本の美術を語るうえで欠かすことのできないまさに才能に溢れた人物といっても過言ではありません。
横山大観の作品
・夜桜
横山大観は生涯のうちに1,500点にもなる富士山を描いたことでも知られています。夜桜はローマの日本美術展に出展されたものになります。桜の儚くも美しく咲き誇る様子や、夜桜ならではの妖艶な姿のコントラストが印象的な作品でもあります。山の隙間から月がひょっこりと顔を出しているなど、細部にまでこだわりぬいた作品であるのが伝わってきます。
・千代田城
墨を使って濃淡のみ描いたシンプルな作品です。二重橋方面より皇居を描いたものになり、金泥の霞に浮かんでいるなんとも幻想的な姿が印象的ですね。厳かな雰囲気も感じさせつつ、奥深い作品といえます。手間に見える銅像は現在も皇居のまえにいる「楠木正成」の像を描いたものになります。この光景が浮かんでくるぐらいとても素敵な作品です。
・乾坤輝く
白と赤のコントラストがなんとも美しい富士山を描いたものです。「山海二十題」のなかの作品の一つになります。ちょうど紀元前2600年だったこともあり、そのお祝いに相応しい作品として作られました。旭日と霊峰の日本らしい光景を見事に描き形にしたもので、横山大観ならずしてこの作品は生まれなかったのではないでしょうか。
・まとめ
横山大観は日本を代表する絵師でもあり、とても優秀な人物であったのがわかると思います。作品一つ一つに味があり、いつまでも眺めたくなってしまうほどの魅力に溢れています。