女子美術学校(現 女子美術大学)の2年に編入しトップで卒業。1924年に三岸好太郎と結婚し、1930年に黄太郎が生まれますが1934年に夫は他界してしまいます。太平洋戦争中も疎開せず、厳しい生活の中、色鮮やかな静物画を数多く描きました。1946年 女流画家協会を設立。1948年に菅野圭介と親密になりますが、1953年に破局。翌1954年、息子、黄太郎の留学先フランスに移り住み、1968年には南フランスのカーニュ、1974年にはブルゴーニュ地方の農村ヴェロンと各地を転々とします。黄太郎とともにヨーロッパを旅し、風景画の名作をうみだしています。言葉を理解できない孤独感、加齢にともなう身体の衰えを抱えながら絵画を描き続けます。1989年、84歳の時に帰国。以来、神奈川県中郡大磯町にある自宅兼アトリエで制作を続けました。
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