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梅原龍三郎

1944年、梅原は帝室技芸員に任命され、同年から東京美術学校でも教鞭をとるようになります。 1952年(昭和27年) 日本が主権を回復し、海外渡航ができるようになったため、東京美術学校教授を辞任して欧州に渡りヴェネツィア・ビエンナーレの国際審査員を務めます。同年文化勲章を受章し、1953年(昭和28年)に軽井沢(長野県)にアトリエをもちます。1957年(昭和32年) 日本芸術院会員をはじめ多くの役職を辞し、その後何度も欧州を訪れ自由に制作を続けました。安井曽太郎は少年の頃から良きライバルでしたがともに洋画界のトップとして「日本洋画壇の双壁」とされました。1973年(昭和48年)にフランス芸術文化勲章を受章。1986年(昭和61年)に97歳の生涯を閉じます。 吉田五十八が設計した晩年のアトリエは、東京都市ヶ谷から山梨県北杜市の清青芸術村に移設され一般に公開されています。

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