月岡雪鼎は、1726年に生まれ、江戸の中期から後期にかけて活躍した浮世絵師です。現在の滋賀県で生まれ、その場所に小高い丘があったことで山の名称をとり“月岡”としたという伝説が残されています。月岡雪鼎の父親は医者だったこともあり、当初は家業を継ぐことを考えましたが、病気がちだったことで断念します。肉筆の美人画も多く、「絵本龍田山」が確認できています。その後、大阪のサロンで学者などと交流を持つことで肉筆画が増えていき、大画面の作品を描くことも増えていきます。月岡雪鼎は、美人画を多く描いており、色白で鼻筋の通った瓜実顔や切れ長の目が特徴的な絵になります。他の浮世絵師には真似ができない独自の美人画を生み出しました。月岡雪鼎は、天明の大火で残ったことでも評判を呼び、値が何倍にも上がったといいます。
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