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竹内栖鳳

戦前に活躍した日本画家。現代日本画のパイオニア的存在。画業は半世紀にわたり戦前の京都画壇を代表する画家でした。1909年(明治42年)京都市立絵画専門学校 (現京都市立芸術大学)開校と同時に教授となり、1924年(大正13年)まで務めます。同年フランスのレジオンドヌール勲章受章。1931年(昭和6年)ハンガリー最高美術賞、ドイツのゲーテ名誉賞、そして1937年(昭和12年)に第1回文化勲章を受章します。1931年(昭和6年)に胃潰瘍を患い、療養のために神奈川県足柄下郡湯河原町を訪れますが、湯河原をとても気に入り、天野屋旅館を別荘とし定住します。戦時中は軍部と協力する立場をとり、陸軍省の依頼で最後の作品「宮城を拝して」を描きました。1942年天野屋旅館で病気療養中、肺炎を併発しこの世を去ります。終戦を見届けることはできませんでした。

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