越後出身の宮彫師の子供として婿養子になります。11歳のときより職人気質について学び、蒔絵についての知識や技術を身につけていきます。16歳のときは、図案に頼らない仕事をするために、四条派の絵の技術も身につけています。当時、まだ活躍していなかった歌川国芳が感動し弟子入りを志願するも、仙真の号を与えたなどの逸話も残っています。蒔絵や漆絵なども尽力し、青梅波塗などの技法を復活させました。博覧会の審査員を務めたこともあるものの、江戸っ子気質が強い人柄だったと言われています。鬼女図額面は、重要美術品としても知られており、柴田の代表作としても伝えられています。大花瓶色絵漆絵や沢瀉蒔絵印籠なども作品として残されています。
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