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千宗旦

千利休の後妻連れ子だった小庵の子供として生まれました。10歳のときに家督争いを避ける目的で、利休の推薦から大徳寺に喝食として預けられるようになります。その後、千家再興が実現したことで、弟子とともに利休流のわび茶を普及させることに尽力することになります。慶長5年には父親の小庵は隠居したため、家督を継ぎます。ただ、利休が豊臣秀吉によって、自刃に追い込まれた経験もあり政治との関わりをあえて避けていたともいいます。とはいえ、子供教育や就職にはとても熱心だったと伝えられています。茶杓 数入も有名な作品になり、茶杓を数多く残しました。なかでも知られているのが、弱法師や松風、五月雨などです。どれもとても貴重なものです。

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