大田垣蓮月は、江戸時代の末期から明治にかけて活躍しました。京都で生まれ、生後10日には養女となり、知恩院で生まれ育ちます。出家したあと、養父が亡くなったタイミングで引っ越し、その後転々とした生活をしました。大田垣蓮月は、岡崎に引っ越ししたあとに、陶芸にて生計を立て「蓮月焼」として、京都の土産の代表的なものとして評価されます。京都でおきた飢餓のときなど私財をなげうってでも寄付をするなど、慈善活動を積極的に行ったそうです。とても冷静に世の中を判断しており、ペリー来航のときも悟りを開いていたといいます。大田垣蓮月は、「自他平等」の考え方を大切にしており、いずれかの味方になることもなく、両者を憐れむような考え方をしていたそうです。和歌も得意としていたそうですよ。
TEL0120-554-110