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並河靖之

並河靖之は、明治時代に七宝作家として活躍した陶芸家です。1845年に川越藩の家臣「高岡九郎左衛門」の三男として京都に生を受けます。11歳のときに親戚の養子となり、家督を継ぐと1873年には宮家に仕えながら、七宝業に取り組むようになります。1875年に第4回京都博覧会にて花瓶の七宝焼きを出品し、銅賞を獲得しています。その後、フィラデルフィア万国博覧会 銅賞を受賞するなど数々の功績を残しました。1893年に母屋が完成し、現在の並河靖之七宝記念館となっています。1906年には賞勲局の特命を受けて勲章製造を始め、東京下谷根岸町八幡に工場を作りました。ただ、明治末には人件費の高騰や外国人客の減少もあり輸出量が大きく減ってしまい、大打撃を受けることになります。1923年にそれ以上の打撃を受けないようにするために、工房を閉鎖することを決めました。1927年に病気で亡くなるまで、隠居生活を楽しんでいたそうです。隠居先では琵琶湖疏水の水を引き入れた100坪の池を作り、鯉を数百匹飼い眺めているのが毎日の日課になっていたそうです。亡くなったあとに宮内庁から特旨をもって従七位となり、各宮家から多数の祭粢が届きました。

並河靖之はツヤのないものが主流だった時代に「並河ブラック」という、透明感のある登記を作ったことでも知られています。