幸田露伴は、東京の江戸で生まれ父親は幕臣の真田利三だと言われています。もともとは病弱だったこともあり、生後27日医者の世話になり、何度も生死をさまようようになります。幸田露伴は、16歳で電信修技学校に入学すると電信技師として北海道に赴任します。そこで「小説神髄」などの作品に出会い、文学の道を目指すようになります。1899年には「一国の首都」や「水の東京」などを発表し、黄金時代を迎えます。幸田露伴は、しばらく作品を作らずにいたものの、1919年に作品集を発表したことで、大好評になり文壇に復活するようになります。先駆的な論文を発表したことも、賛否両論の意見があったそうです。29歳のときに結婚したきみさんは、とても良い理解者となりましたがインフルエンザで亡くなります。
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