戦後、東京芸術大学の教授として、後進の育成に努めます。定年後、迎賓館(赤坂)大ホールの壁画「絵画」「音楽」を手がけ日本洋画界に大きな功績を残し、同大学名誉教授の称号を授与されました。1992年(平成4年)「小磯良平大賞展」が設けられ、国内最高賞金の公募展となっています。1933年(昭和8年)神戸の教会で洗礼を受けクリスチャンとなります(組合教会系)。1970年(昭和45年)日本聖書協会に依頼されて聖書の挿絵32枚を描きました。また1941年(昭和16年)に出版された小説「東京八景」(太宰治)の装丁、及び1947年(昭和22年)に制定された「兵庫県民歌」の楽譜の表紙も描いています。1988年12月16日 肺炎のため神戸市東灘区の甲南病院で死去。享年85歳でした。
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