河東碧梧桐は、愛媛県の温泉郡出身になり教授の家の五男として生まれます。子供の頃は、正岡子規が友人だったそうです。その経緯もあり、高浜虚子と並び呼びされていたこともあります。1902年に正岡子規が亡くなったことで、河東碧梧桐は、新聞の「日本」俳句欄の選者を受け継ぐようになります。それまでは高校を卒業し結婚するなど、普通の生活をしていました。「新傾向俳句」に走り始めたことで、全国に俳句行脚を行うようになります。もともとの五七調にこだわることのない、全く新しい俳句の考え方でもありました。河東碧梧桐は、昭和8年に腸チフスにかかり体調不良を理由に登壇からの引退を発表します。定形にとらわれることのない、季節性も意識しつつ自由に作る作風が高く評価されました。
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