TEL0120-554-110

狩野探幽

江戸狩野派の始祖として知られる絵師といえば「狩野探幽(かのうたんゆう)」ではないでしょうか。京都で生を受け、狩野孝信の長男として誕生しました。

徳川家御用達の絵師として活躍するなど、たくさんの代表作を世に送り続けています。狩野探幽とはどんな人物なのか、代表作についてもご紹介していきたいと思います。

狩野探幽は狩野派一族の地位を不動のものとした人物でもあります。幼い頃から絵を描く才能の片鱗を見せ始め、1612年に徳川家康と謁し16歳という若さで幕府の御用絵師として認められるようになりました。

その後は徳川の依頼を受け、上野の徳川家の霊廟の装飾を担当したり、江戸幕府の障壁画制作にも従事しました。「祖父永徳の再来」と称賛を受けたこともあり、「采女(うねめ)」と名乗るようになります。その後、狩野宗家を江戸に移すと、京都にある二条城の壁画制作に携わります。

1636年には徳川家康の誕生から亡くなるまでを描いた「東照宮縁起絵巻」を命じられるなど、大きな仕事も任されるまでになります。1662年には絵師として最高位になる「法印」を得るまでの存在になりました。

■狩野探幽の代表作とは

1.  四季松図屏風

数ある屏風絵のなかでも、重要文化財として指定されている作品です。1641年~1646年に制作されたものになり、松のさまざまな姿のみを描いている作品でもあります。単一の画題を使って四季を表現する“大和絵”の手法を取り入れています。シンプルな作品ながら、四季の美しさを感じさせてくれます。精神的世界観を導き出す作品でもあります。

2. 雪中梅竹遊禽図襖

狩野探幽の最高傑作のひとつになり、国の重要文化財に指定されています。描かれているものは、徳川家光が名古屋城に上洛する道の途中で立ち寄った迎賓の部屋である装飾襖の北側の4面として制作された作品です。雪の降り積もった老梅と若梅との見事な二等辺三角形を意識したような構図や、上品に呼応する姿はさすがといえるのではないでしょうか。二羽の小鳥にも注目して欲しい作品です。

まとめ

狩野探幽の作品の多くは画面のなかに品よく収まる上品さと、余白を上手に活かしながら作る独特の美の世界を演出しています。狩野派を代表する絵師でもあり、代表作はたくさんあります。江戸時代らしさも感じさせつつ、御用絵師としても実績を積み上げてきました。華美な絵ではないものの、じっくりと眺めていたくなる作品が多く描かれているのも狩野探幽の魅力といえるのではないでしょうか。

よかったらシェアしてね!