鹿児島寿蔵は、1898年に福岡県福岡市に誕生しました。高等学校を卒業したあとに、井上式地理歴史標本作成所に所属して模型の制作や色彩に尽力しました。当時、工場長だった有岡米次郎が独立したときに、博多人形のノウハウを学び、1917年に自分の窯を構え独立しています。当初はテラコッタ風の作風が多かったことでも知られています。1954年に日本工芸会設立と共に正会員を務め、常任理事に就任しています。1961年には紙塑人形の人間国宝に選ばれ、戦後には日本著作家組合中央委員美術部代表、日本著作権協議会理事および専門委員を務めています。歌人としての功績も数多く残しており、
1944年(昭和19年)に「アララギ」や、1945年(昭和20年)には短歌雑誌『潮汐』でも主宰を務めています。6回にわたって宮中歌会始選者となり、『故郷の灯』他で第2回迢空賞受賞や紫綬褒章、勲三等瑞宝章など数々の賞を受賞しました。83歳で亡くなるまで美術に数々貢献を尽くした人物とも言えるでしょう。