作家一覧– category –
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川喜田半泥子
大阪府で生まれ、伊勢の豪商の裕福な家庭で育ちます。ただ、1歳のときに祖父や父を亡くしたため1歳で当主となります。母も18歳で未亡人になったことで実家に帰り、祖母のもとで育てられることになります。百五銀行の取締役に就任し、他の銀行を買収し規模... -
北大路魯山人
京都府出身の陶芸家でもあり、もともと士族の家柄でした。ただ、位が低かったこともあり、生活は裕福なものとはいえませんでした。義理母からの虐待もあり、近所の人が養子話を持ちかけ、福田房次郎として生きることになります。住み込みで奉公に出た際に... -
黒田正玄
千家十職に数えられる役割の一つになり、先祖代々が襲名して受け継がれてきました。茶道具をメインに製作しており、千家に伝わる由緒正しき家系でもあります。現在は十三代まで続いています。初代は天正6年に越前にて誕生しました。関ケ原の合戦の後に浪人... -
駒澤利斎
千家十職の一人でもあり、棚や香合などを制作する「指物師」として、代々受け継がれてきた名称になります。初代の情報については殆ど残されていませんが、二代目より注文を受け、指物を製作していたと考えられています。とはいえ、当時は千家とのつながり... -
近藤悠三
陶芸家として人間国宝に指定されている人物になり、京都の清水寺下出身です。実際に祖父は、清水寺の地侍として務めていたと言われています。陶磁器の試験場にて助手として勤務したあと、窯業科学などを学びます。その後、イギリスから帰国した富本憲吉の... -
酒井田柿右衛門
佐賀県生まれの陶芸家でもあり、西部伝統工芸展に何度も初入選を果たし、有田焼の陶芸協会の会員や、日本工芸会正会員として活躍しました。数々の展覧会を開き、現在は15代目に当たります。初代の柿右衛門は、乳白色に赤の上絵を焼き付ける手法を取り入れ... -
柴田是真
越後出身の宮彫師の子供として婿養子になります。11歳のときより職人気質について学び、蒔絵についての知識や技術を身につけていきます。16歳のときは、図案に頼らない仕事をするために、四条派の絵の技術も身につけています。当時、まだ活躍していなかっ... -
清水卯一
京都府出身の陶芸家であり、もともと陶磁器の卸問屋の長男として誕生しました。父が若くして亡くなったため、家を継ぐことを目的に商業学校に入学。中退し石黒宗磨のもとで弟子として陶芸を学ぶようになります。ただ、戦争もあり自宅にろくろ場を設け作品... -
清水六兵衛
陶磁器で代々受け継がれてきた名前です。初代は、大阪府の高槻市の農家で生まれ京都にて陶業を学びました。特に茶器をメインに制作していたようで、黒楽茶碗なども制作しています。現在は8代目になり、京都出身、デビュー作でグランプリを獲得するなど優れ... -
松花堂昭乗
和泉の国境で生まれ、江戸時代の真言宗の僧侶として活躍した人物になります。文化人としても有名な人になり、陶芸はもちろん、茶道や絵画、書道などに長けていたそうです。なかでも能書家としても高く評価され、独自の松花堂流などの書風を編み出したこと... -
鈴木藏
岐阜県出身の陶芸家でもあり、重要無形文化財保持者としても高く評価されています。もともと出身地が美濃焼の産地になり、父親も陶磁器試験場の技師として活躍していました。工業高校を卒業後、陶芸部試験室の助手として働き、本格的な陶土など専門知識を... -
鈴木盛久
寛永2年に御用鋳物師となり、仏具、梵鐘の製造に携わります。南部鉄器の伝統継承者として受け継がれ、それぞれ名前とは別に鈴木盛久の名前が受け継がれています。昭和21年おり、日展に何度も入選して、岩手工芸会初の特選に選ばれるようになります。技術力... -
千家十職
千家十職とは、茶道に関わる仕事をしている人で、三千家に出入りしている人の仕事を取りまとめた尊称のようなものです。例えば、塗師もそうですし茶器を作る陶芸家、指物師なども存在します。茶会は、茶室で行われ独自の作法を持っています。そのため使用... -
千宗旦
千利休の後妻連れ子だった小庵の子供として生まれました。10歳のときに家督争いを避ける目的で、利休の推薦から大徳寺に喝食として預けられるようになります。その後、千家再興が実現したことで、弟子とともに利休流のわび茶を普及させることに尽力するこ... -
千利休
戦国時代から安土桃山時代に活躍した、最も有名な茶人です。茶湯の天下三宗匠とも呼ばれるようになり、多くの弟子を抱えていたそうです。そもそも千利休の名前は、禁中茶会において、町民では参加できないことから、天皇より与えられた居士号です。千利休... -
高野松山
熊本県出身の陶芸家でもあり、蒔絵の重要無形文化財に認定されています。もともと祖父は細川藩の儒者であり、父親は校長を務めるなど由緒正しい家庭として育ちました。13歳のときに漆工科の学校に入学すると、蒔絵について強く興味を持つようになります。... -
高橋敬典
山形県出身の茶湯、陶芸家としても知られている人物です。1938年に家業を継ぐものの、1950年には弟子入りし、「和銑平丸釜地文水藻」にて初入選を果たすまでに成長します。その後、昭和天皇の山形県訪問時に釜を献上できるまでに有名な陶芸家になりました... -
高橋道八
京焼(清水焼)の窯元として代々受け継がれている名前です。特定の人だけを指すものではないので、代替わりによって多少の違いもあります。初代の高橋道八が誕生したのは、1740年の頃になり、煎茶が最も栄えた時期だったこともあり、茶器の製造に力を入れ... -
沢庵宗彭
名前からもわかるように臨済宗の僧侶であり、安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍しました。兵庫県豊岡市で生まれ、父親は、但馬の重臣だったものの羽柴秀吉に攻められ滅亡し、浪人となります。希先西堂に師事するも亡くなり、住職を別の寺から招いたこ... -
田原陶兵衛
山口県の長門市で生まれた陶芸家です。長兄11代田原陶兵衛の跡継ぎがいなかったことで、家業を継いだとも言われています。歴代受け継がれてきた名前でもあり、茶器を中心に製造していること、高麗朝鮮陶器の研究にも朝鮮していたそうです。1956年に兄が亡... -
富本憲吉
大阪府の大地主の家に生まれ、子供の頃より絵を学べる環境で育ちます。東京美術学校に入学した際に、ウィリアム・モリスの思想に影響されロンドンに留学して卒業します。留学中に、建築家の新家孝正と出会い、写真助手として一緒に巡ります。その後、日本... -
中村宗哲
400年以上の歴史を持つ、千家十職のなかで塗り師として知られています。もともとは蒔絵を使った家具などを展開していたものの、次第に茶道具を専業とした事業展開へと変わっていきます。初代は、1617年となり独楽香合などの数々の代表作を残しています。十... -
濱田庄司
昭和に活躍した、比較的新しい時代の陶芸家でもあります。神奈川県の溝の口で生まれ、高等工業学校の窯業科に入学し、基礎全般を学びます。卒業したあとは、河合寛次郎と一緒に京都の陶芸試験場にて研究を行います。1923年には個展を開き、帰国し沖縄で生... -
飛来一閑
一閑張細工師の分野として千家十職で認められている職種になります。この分野での創始者でもあり、代々が細工師として受け継がれてきた家系です。もともと非来家亡命明人の末裔であると考えられ、清の侵略の広がりによって、身の危険を感じたことで日本に... -
藤本能道
日本の陶芸家でもあり、重要無形文化財保持者として知られています。もともと東京の新宿区に生まれ、東京美術学校工芸科図案部を卒業したあと、文部省の技術講習所に入ります。1938年には富本憲吉の助手を務め、九谷焼などの技術を取得します。技術指導を... -
藤原啓
兄弟で陶芸家として活躍し他人物になり、岡山県の備前市出身です。名誉県民としてもその名を知られています。子供のときから俳句や小説などの文才を発揮し1等を獲得。これをきっかけに上京し、編集部に勤務し担当を持つまでになります。編集を学び、作家と... -
古田織部
武将でもあり芸術家として知られた人物になり、主に戦国時代から江戸時代にかけて活躍しました。茶道織部流の祖としても知られるようになり、織田の家臣として仕えた記録も残っています。武士としての実績は少ないながらも的確な意見でアドバイスをするな... -
細川護熙
日本の政治家として活動した人物になり、新聞社や参議院議員、県知事、内閣総理大臣など目覚ましい活動をしました。還暦のときに政界を引退し、その後は陶芸家や茶人などの活動を行っていたそうです。祖母の住まいがあった神奈川県の湯河原で「不東庵」を... -
松井康成
長野県佐久市出身の陶芸家です。戦時中には茨城県に疎開し、卒業後に、奥田製作所にて陶芸の技術を学び習得します。大学を卒業したあとに月崇寺の住職になり、窯を作り研究を続けたといいます。とても探究心の強い人物になり、田村耕一のもとで学んでいた... -
松平不昧
出雲の松江藩の七代目を務めた人物になり、江戸時代の代表的な茶人として知られています。今でも一目置かれる存在として名高く伝えられています。当時、松江藩は財政が破産しており厳しい状態でした。そこに藩政改革に乗り出し農業政策や治水工事を行い、... -
松田権六
石川県金沢市で生まれた、陶芸家でもあり蒔絵師としても認められた人物です。7歳のときに蒔絵に出会い修行を始め、東京美術学校漆工科にて技術を学びます。その後、母校に教授として就任し、教鞭をとったことでも有名です。1955年には人間国宝として認めら... -
宮川香山
京都に生まれ、もともと陶芸家である真葛宮川長造の四男でした。19歳のときに家督を継ぐと、当時「香山」としての称号を受けていたことから、その名前で活動するようになります。色絵の陶磁器や磁器などはもちろん、薩摩焼などの研究も行います。幕府から... -
三輪休和
山口県萩市に生まれ、人間国宝にも指定されている人物です。荻藩御用達の窯三輪家の次男として生まれます。中学校に入学するも、職人に学問はいらぬという考えのもと、2年で退学してしまいます。その後家業に専念し、茶道なども含め諸芸を学ぶことに尽力し... -
楽吉左衞門
千家十職の一つとして、楽焼を使った茶器を制作しています。初代の長次郎は、創設者の父のもとで生まれ黒軸をかけた茶碗制作で高い才能を発揮します。「樂」は豊臣秀吉から与えられたものになり、楽焼の始まりになったと言われています。田中姓を持ってい... -
浅蔵五十吉
大正2年に石川県の寺井町にて生まれました。小学校を卒業したあとに陶芸の技術を父親から学び、その後、昭和3年に初代「徳田八十吉」氏に師事したといわれています。また、昭和21年には「北出塔次郎」氏にて色絵の技術を学び習得していきます。同じ年に行... -
浅見隆三
明治37年に京都東山に生まれ、本名は柳三といいます。三代浅見五良助の次男として生を受け、陶技は祖父より手ほどきを受けました。大正12年京都市立美術工芸学校図案化を卒業したあと、関西美術院にて洋画を学びました。昭和4年の帝展にて「三葉紋花瓶」で... -
石黒宗麿
1893年に富山県の新湊市に生まれました。地元の中学を中退し上京したあと中越汽船会社にて勤務し、楽焼を通して陶芸に触れたことで興味を持ったといわれています。その後、金沢に移り住んだあと伊賀や三嶋などの焼き物に触れました。京都に拠点を移し、パ... -
伊勢崎淳
岡山県備前市伊部に、伊勢崎陽山の次男として生まれました。同じ陶芸家の満とともに姑耶山に中世の半地下式穴窯を復元したことでも知られています。1959年には岡山大学教育学部特設美術科を卒業し、父と一緒に作陶の世界に入りました。1966年には日本工芸... -
市野雅彦
昭和36年に兵庫県篠山市生まれの陶芸家です。丹波立杭の茶陶作家 初代市野信水を父に持ち、次男として生を受けました。市野雅彦氏の兄は「二代目信水」として認定されており、兄弟そろって確かな功績を残している人物です。広島にて陶芸を学んだあとに、故... -
井上良斎
1888年(明治21年)に東京浅草に生まれた陶芸家です。本名は井上良太郎といい、隅田川の川べりに窯を築き、陶工良斎の業を担いました。錦城中学校に進学した辺りから従事するようになり、三代目となりました。技術を研磨し続けた結果、青や白の陶磁器や緑... -
今井政之
1930年に大阪府大阪市で誕生した陶芸家です。1943年に父親の故郷である広島県に移り住み、その後、広島県立竹原工業学校を卒業し、備前焼の修行に従事しました。1952年には、拠点を京都に移し初代勝尾青龍洞に入門しています。翌年1953年には、発揮人とな... -
岩田藤七
1893年に東京日本橋本町の呉服商の家に生まれました。幼名は東次郎といい、1911年に商工中学校を卒業したあと、1911年白馬会で岡田三郎助に師事して洋画を学びました。1918年東京美術学校金工科に入学すると彫刻を海野勝珉氏に学び、1923年西洋画科を卒業... -
永楽善五郎
永楽善五郎の永楽家は、千家の伝統的な茶道具を制作している一家として知られています。京焼の家元として代々受け継いできた文化があり、千家十職の一つ「土風炉・焼物師」を制作しています。初代は大永の時代になり9代目までは「西村姓」と名乗り、10代目... -
尾形乾山
尾形乾山は、1663年に京都の呉服商の三男として生を受けました。尾形光琳は、実の兄となり兄弟仲は良かったものの、性格が対照的で堅実な性格をしていたと言われています。暮らしも質素で、読書家としても知られています。37歳のときに尾形兄弟に興味を持... -
岡部嶺男
岡部嶺男は、1919年に愛知県瀬戸市に誕生しました。 加藤唐九郎の長男として父親の背中を見て育ちます。愛知県立瀬戸窯業学校を卒業し、1940年東京物理学校を中退し岡部辰子と結婚し、愛知県愛知郡日進町に新居を構えて生活するようになります。 青瓷、織... -
隠崎隆一
隠崎隆一は、人間国宝としても認定された陶芸作家です。自由な発想を大切にして独自の表現を用いて、備前焼で新しい道を切り開き自身の地位を確かなものにしました。昭和25年に長崎県で生まれ、大学ではデザインを深く学びました。瀬戸内市長船町磯上に窯... -
鹿児島寿蔵
鹿児島寿蔵は、1898年に福岡県福岡市に誕生しました。高等学校を卒業したあとに、井上式地理歴史標本作成所に所属して模型の制作や色彩に尽力しました。当時、工場長だった有岡米次郎が独立したときに、博多人形のノウハウを学び、1917年に自分の窯を構え... -
加藤卓男
1917年に五代加藤幸兵衛の長男として誕生しました。1961年にはフィンランド工芸美術学校を修了し、日展で第六回北斗賞も受賞しました。古代ペルシア陶器ならではの独創的で色彩豊かな、釉調に魅力を感じ、イラン・パーレヴィ王立大学付属アジア研究所留学... -
鎌田幸二
鎌田幸二は、1948年に京都生まれの陶芸家です。京都府立桃山高等学校を卒業したあとに、京都府立陶工訓練校専攻科修了しています。きっかけとなったのは、五条坂の清水正氏になり指導を受けその後、京都府技師として指導員になりました。五条坂共同登窯「...