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浅井忠

1898年東京美術学校(現東京芸術大学)にて教鞭をとります。1900年フランスへ留学し1902年に帰国。京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の教授副校長となります。翌1903年聖護院洋画研究所(1906年関西美術院)を開設し後進の育成に力を注ぎました。画家としての才能だけでなく、教育者としても優れており、安井曽太郎、梅原龍三郎、石井柏亭、津田青楓、向井寛三郎らが代表的な門下生です。正岡子規は彼から洋画を学び、夏目漱石の作品「三四郎」の登場人物である深海は浅井からインスピレーションを受けたとされています。「吾輩ハ猫デアル」の挿画も他の2人とともに手がけています。1907年12月16日リューマチの治療のため入院していた東京大学医学部附属病院で心臓発作を起こし、この世を去りました。墓は京都の金地院の境内にあります。

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