京都に生まれ、もともと陶芸家である真葛宮川長造の四男でした。19歳のときに家督を継ぐと、当時「香山」としての称号を受けていたことから、その名前で活動するようになります。色絵の陶磁器や磁器などはもちろん、薩摩焼などの研究も行います。幕府からの献納品を承るほどにその評判が高かったとも言われています。薩摩焼を研究した真葛焼はあまりにもコストが高く現実的ではなかったため、高浮彫と呼ばれる技法を生み出し高い技術の彫刻で作品を制作しました。35歳のときにフィラデルフィア万博博覧会に出品し、世界に真葛焼の名前を広めました。
真葛窯変釉蟹彫刻壺花活も有名な作品になり、光沢感のある素材に蟹をモチーフとしたもので重要文化財としても指定されています。