京都府出身の陶芸家でもあり、もともと士族の家柄でした。ただ、位が低かったこともあり、生活は裕福なものとはいえませんでした。義理母からの虐待もあり、近所の人が養子話を持ちかけ、福田房次郎として生きることになります。住み込みで奉公に出た際に、仕出し料理屋の行灯看板の一筆書きに心を奪われます。1904年に日本美術協会主催の展覧会にて受賞し、21歳としては快挙として知られていました。1927年に、星岡窯を設立して本格的に陶芸の世界に足を踏み入れます。戦後は貧しい時代を生きるも銀座に自作の直営店「火土火土美房」を開店して、世界的に認められるようになります。紅志野茶碗や備前土茶碗、黄瀬戸筒形茶碗など次々に陶芸を生み出しました。
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