秋野不矩は、50歳で離婚し、4年後に佐和隆研教授がインドで日本画を教えないかという誘いを持ち帰った時、真っ先に手を挙げたのが彼でした。その後秋野不矩は、ビスババーラティー大学の客員教授として約1年間インドで日本画を教えます。帰国後、翌年にはインドを描いた画集の個展を開催します。仕事の忙しさもあって10年間インドを訪れることはありませんでしたが、引退後再び現地に赴き、長い期間滞在し、風景や風土に触発された新しい作風を生み出します。帰国後、秋野不矩のアトリエが2度の火災に遭い、京都市郊外の美山町で三男一家と暮らし始めます。80歳を過ぎると作品はさらに大作となり91歳で文化勲章を受章。2年後心不全のため美山の自宅で死去しました。
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